松戸市岩瀬の古地名

松戸市の広報誌
 広報まつどNo.1675 7/1 のコラム「松戸の歴史解説」で、小野遺跡(奈良・平安時代)の話が載っていた。下総国府との関わりで岩瀬の古地名が石世(いわせ)とか?
 以前、「紙敷」も昔は神聖な役割を担っていたのではないかと平川南先生からの「かも知れない話」で調べてみたが地名由来の記録はなかった*1。こちらも何か発掘されないかなぁと願う。

1* それこそ憶測で思い浮かぶ漢字音は、神織(かみしき)や神式(かみしき)とか考えてしまう。平将門の上屋敷跡に由来するというような憶測もあるが、私たちは、記録と時代考証と冗長性を踏まえて推測を楽しまなければならないと考えます。その上での指摘や同好会への参加は大歓迎である。

金ヶ作史記について

ChoshiYaの金ヶ作歳時記にお立ち寄りいただき感謝申し上げます。

 この中のテーマのひとつ「金ヶ作史記」ですが、地域の歴史を知らない世代に向けて、少しでも郷土史を知ってもらおうと始めました。幸いなことに、わたしが歴史研究者ではない利点を生かして、私自身が知らないことを知る楽しみを共有してもらえれば幸いです。また、取り上げた郷土史に興味を感じていただくきっかけになればと願っています。

 個人的なことですが一点だけ

 歴史、とくに近現代史においては日本国内ですら歴史観でもめます。以前、国立公文書館のアジア歴史資料センター(略称アジ歴)という所で、システム入れ替えとデータ更新・公開の仕事をしました。当時のセンター長であった石井米雄先生*1とも親しくさせていただきましたが、「歴史認識の共有は難しくとも歴史事実は共有できる。」ということばを今でも大切にしています。

 ここに立ち寄られた歴史好きの方にもこのことばを贈りたいと思います。

*1 アジ歴のオフィスは、テナントビルに入居していて組織も含め非常にコンパクトであった。当時、石井米雄センター長は人間文化研究機構長もされていたが、機構組織の中では近寄り難い存在ではあるものの、アジ歴は狭すぎて密度が濃かったと思う。小生の人生にとって尊敬できる先生のひとりである。お亡くなりになられたのが非常に残念であった。新品のLet’s NOTEのOSをWin.8からWin.7にダウングレードして差し上げたとき1本いただいたが、あのパーカーコレクションはどうなったか。
 私がリタイヤしてから暫くあと、その機構からお呼びがかかって、参加機関の研究成果(リポジトリ)や研究者情報を統合して公開する仕事を引き受けたのも、亡くなられた石井米雄機構長を意識したからに他ならない。緩んだウエストを戻すため頑張って走り込みをしたのを覚えている。何者にも代えがたい先生であった。合掌