旧松戸飛行場の無蓋掩体壕(むがいえんたいごう)- 戦争の身近な記録 -

 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを利用して、インターネット経由でダウンロードできる映像は400dpiのレベル。さらに購入申請をすれば、1200dpiレベルのものを手に入れることができる。今回、旧松戸飛行場(現松戸市松飛台)の無蓋掩体壕のあった位置を再度確認している。ところで、なぜもう一度確認する気になったか。

 何気ないひと言を聞いたからである。「金ヶ作小学校にもあったよ。」である。えっ、である。思い込みというのは恐ろしい。掩体壕というものは旧松戸飛行場付近にばかりあると思い込んでいた。現在の新京成五香駅東口にも無蓋掩体壕が存在していたことは知っていたが、それより離れた金ヶ作小学校付近にもあるなんて想像もしていなかったからである。添付した写真は、昭和22年(1947年)に進駐米軍が撮影した航空写真である。なんと旧陸軍鉄道第二連隊演習線に沿って点在していたのだ。金ヶ作交差点あたりから、一、二、三、四、‥。さらに機体を林の中に隠そうとするように思える場所にも。

 これじゃ、私の住んできた場所って攻撃されるエリアだったのかと今になって思う。

 昭和19年(1944年)になると日本本土爆撃が行われるようになり、本土決戦・首都防衛の役割として松戸飛行場はその一翼を担っていた。昭和20年(1945年)3月9日夜から10日未明にかけては、東京下町を中心にB29爆撃機による焼夷弾を投下されたいわゆる東京大空襲の日である。この写真に写っている場所は、開墾により林畑となった景色であるが、鉄道連隊の演習線も含めて、畑地や勤労動員など接収・徴用されてしまった歴史事実でもある。

 文字での記録は、どうしても書き手の知識や感情が入ってしまうので間違いも含んでしまう。写真はそのままを写し取る力を持っていてすばらしい。写真と書いて真を写すのである。面白いのは、1947年7月24日の撮影時では無蓋掩体壕そのものだが、1947年11月28日の撮影ではすでにそこが別のものに利用されていた。解き放たれた人々の営みのすごさを感じる。夏草や緑のなかに消えていく様子もわかる。

 資料確認は、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで新京成五香駅を目安に検索すると良い。
 ・USA-M380-48 1947.7.24
 ・USA-M676-17 1947.11.28

 添付した写真は、国土地理院提供の航空写真(400dpi)を拡大して、その上に目安になるよう文字を追記したものである。はっきりとそれとわかる無蓋掩体壕のほか、らしきものも含めた。白丸印。まだ、このほかに見落とした場所があるかも知れない。ご検証願いたい。小生、実は1200dpiの航空写真も購入して確認している。

 右下が五香十字路、旧松戸飛行場の方向である。まだ、新京成五香駅は存在していないが、五香駅東口に相当する位置にも無蓋掩体壕があったことがわかる。さらに鉄道第二連隊演習線上、金ヶ作交差点から現金ヶ作小学校や金ヶ作幼稚園周辺に無蓋掩体壕(+機体を隠した場所)が集中していたことがわかる。赤い○印の場所は、断定はできないが、それらを守るための対空砲が置かれたのではないかと推測する*1。まえに説明した旧松戸飛行場の写真に引き込み線があったが、それとも関連してくるように思える。

USA-M380-48.jpg

(参考)旧松戸飛行場全景
松戸飛行場全景.jpg
*1 読者からの「常盤平4丁目の自宅敷地に高射砲の砲台が存在していた。」との情報提供。当初は何でそんな所にあるんだろうと思っていたが、やっと理由が理解できた気がする。鉄道第二連隊演習線をうまく利用して、松戸飛行場より離れた場所に機体を移動させて隠蔽したと思われる。生活道路とは違う引き込み線のような道筋が散見できるので投稿写真から探してみて欲しい。
 昭和19年(1994年)9月に所沢飛行場から陸軍第10師団所属の飛行第53戦隊が移駐してくる。首都防衛のための主な機体は、二式複座戦闘機「屠龍」であり、全長11.00m、全幅15.02m、全高3.70m、全備重量5,500kgである。機体を離れた場所に移動させて隠すにはちょっと厄介であろう。参考に載せた旧松戸飛行場全景写真(当時)では、五香十字路方面にはまだ無蓋掩体壕も見当たらない。
 やがて空襲が激しくなる昭和20年(1945年)3月から5月に飛行第18連隊が柏飛行場から移ってくる。主力機は五式戦闘機「キ100」で約20機あまり。この機体の原型は三式戦闘機「飛燕」であり、全長8.9245m、全幅12.00m、全高3.75m、全備重量3,495kgであるから、この時期に隠したのはこの機体と思われる。現在の金ヶ作小学校あたりに新規につくった無蓋掩体壕の数とも近似している。林に隠すようにしたり、野馬除土手を削って無蓋掩体壕がわりにしたりと急拵えを感じられる。
 その後、二式複座戦闘機「屠龍」の飛行第53戦隊は、昭和20年(1945年)6月16日から20日に新しくできた藤ヶ谷飛行場に移駐していくことになる。藤ヶ谷飛行場は、進駐米軍の白井基地を経て、現在は、海上自衛隊下総航空基地となっている。


推奨図書:
1. 日本大空襲-本土制空基地隊員の日記、著者原田良次、筑摩書房、2019.7.10、ISBN978-4-480-09933-4
2. 鎌ヶ谷市郷土資料館 平成17年度企画展「戦争の記録と記憶 in 鎌ヶ谷」戦後60周年事業図録
3. 柏市教育委員会 明日話せる柏学〜かしわ時空散歩〜近現代編、2021.3.31、柏飛行場より

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