テーマ:金ヶ作史記

青天を衝け -渡仏してる間に大変ですよ-

 NHK大河ドラマ「青天を衝け」もいよいよ幕末を迎えます。1867年パリ万国博覧会には、徳川慶喜の弟である徳川昭武が派遣され、渋沢栄一が随行していますが、明治となり、その昭武が隠居所とした戸定邸が松戸に残されています。幕府の終焉期には、水戸街道の松戸宿周辺で様々な事件が起きています。このブログでは、有名ではない金ヶ作に関わる話題を取り上…
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下総鮮魚街道の浦部・白幡界隈(手賀沼の春景色、月影の井、ほか)

 今回、下総鮮魚街道の浦部・白幡界隈を巡ってみた(地図の赤い円部分)。感じたのは、利根川・布佐河岸から松戸までを命を張ってまで自転車で走破したくないなと。木下街道(県道59号線)のこの区間は、路肩がほとんどない上に片側車線が狭くて交通量も多く、大型車がスピード(一応40km/h区間)を出して行き交うので歩くのも怖いのです。ここを走破した…
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金ヶ作陣屋の跡地

金ヶ作陣屋については、すでにこのblog金ヶ作史記の 「金ヶ作陣屋をつくった男 小宮山杢之進昌世」 「鮮魚街道の街歩き【五助木戸から松戸宿・納屋河岸跡まで】」 でも触れてきたが、その跡地はどこか。正確な場所はどこか。公表されてきた資料を検証*1した上で、明治初期に作成された公図(土地区画図)や終戦直後の空中写真などをもとに…
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近世江戸は災害都市だった!

立春と初午にからめて防災を考えます。 YouTube を”人間文化研究機構”で検索してみて下さい。  2020年12月16日(水)に"大手町アカデミア"というオンラインでライブ配信された特別講座が YouTube にアップされています。「近世江戸は災害都市だった!」を視聴していただければ、このブログのテーマのひとつ「金ヶ作史記」…
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鮮魚街道 藤ヶ谷の常夜燈

掲示されている説明をそのまま載せます。 柏市指定文化財(建造物)昭和52年2月21日指定 鮮魚街道常夜燈  鮮魚街道は、江戸から明治時代にかけて、おもに千葉県の銚子沖でとれた海産物を江戸の魚河岸に運ぶためにできた交通路です。夕方に銚子を出発し、利根川をさかのぼって布佐河岸(我孫子市)で陸揚げされ、荷駄で松戸河岸(松戸市)まで輸…
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金ヶ作陣屋をつくった男 小宮山杢之進昌世

 妄想が膨らむのだが、野方代官となって赴任してきた小宮山昌世に興味を抱く。享保の改革とも絡んで、牧の制度改革をどう上申(ぐしん)して認められ、具体的にどうしようとしたのか。この頃に牧士の綿貫氏も30俵の扶持を与えられて野馬奉行(牧士の長)と称するようになる。小宮山昌世は、実行力も伴う極めて優秀な人物であったのであろう。しかし、出る杭は打…
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柳田國男記念公苑を訪ねて

 2020年11月7日(土曜日)茨城県利根町布川の歴史散歩に参加させていただき、近いにも関わらずなかなか足を運ばなかった柳田國男記念公苑に行く機会を得た。最寄駅はJR成田線布佐駅。  柳田國男は、日本における民俗学という学問領域を切り開いた人物。その功績だけでなく、生い立ちを知ると深く感じるものがある。  間引きの絵馬や小川家の土蔵…
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日本大空襲 松戸飛行場(松飛台)

今日は、終戦記念日も近いので話題をこちらにします。  このブログの「金ヶ作史記」で旧陸軍松戸飛行場について触れたこともあり、そこの飛行第53戦隊に所属し、整備兵として帝都防衛に就いて敗戦を迎えた原田良次氏の著書「日本大空襲-本土制空基地隊員の日記-」を読んでいる。  1973年に中央公論社から中央新書として日本大空襲(上)・…
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鮮魚街道 五香十字路界隈の空中写真(御立場発見)

 この写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より提供してもらった1947年(昭和22年)の進駐米軍による五香十字路界隈の航空写真です。  今は、わずかに残っているだけの野馬除土手ですが、  この写真では、野馬除土手沿いに続く鮮魚街道がよくわかります。陸軍鉄道第二連隊の演習線が松戸飛行場跡まで引き込まれている痕跡や無…
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鮮魚街道 日暮村界隈の空中写真

この写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より提供してもらった1947年(昭和22年)の進駐米軍による日暮村界隈の空中写真*1である。旧帝国陸軍鉄道第二連隊の演習線跡も見える。更にさかのぼって、明治13年陸地測量部の迅速測図(国土地理院謄本)の地図と重ね合わせて鮮魚街道(御成道)の旧道を緑の線で引いてみた。 1.…
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千葉市立郷土博物館パネル展「将門と忠常 -千葉氏のルーツを探る-」

金ヶ作史記での時系列を理解していただくため、後北条方の勢力分布と徳川勢関東支配の分布を千葉市立郷土博物館のパネル展「将門と忠常-千葉氏のルーツを探る-」のパネルより引用させていただきます。 権力者の盛衰もあるが、負け組も含め、住民の暮らしはたいへんである*1。 千葉市立郷土博物館では、このパネル展のブックレットを100円…
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松戸市岩瀬の古地名

松戸市の広報誌  「広報まつど」No.1675 7/1 のコラム"松戸の歴史解説"で、小野遺跡(奈良・平安時代)の話が載っていた。下総国府との関わりで岩瀬の古地名が石世(いわせ)とか?  以前、「紙敷」も昔は神聖な役割を担っていたのではないかという平川南先生からの「かも知れない話」で調べてみたことがあるが、地名由来の記録はなかった*…
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この金ヶ作史記について

ChoshiYaの金ヶ作歳時記にお立ち寄りいただき感謝申し上げます。  この中のテーマのひとつ「金ヶ作史記」ですが、地域の歴史を知らない世代に向けて、少しでも知ってもらおうと始めました。幸いなことに、わたしが歴史研究者ではない利点を生かして、私自身が知らないことを知る楽しみを共有してもらえれば幸いです。また、取り上げた郷土史に興味…
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天王さま(松戸市金ヶ作32)

金ヶ作陣屋と関わりがある場所の天王さま。現在の門前八坂神社(松戸市金ヶ作32)を紹介しておく。由緒由来は写真参照のこと。安政元年(1854年)創建*1とのことなので、江戸時代末期、陣屋の近傍にあって祀られる。明治元年はあと15年後である。 *1 創建の御祀神を考えると、当時は天災や開国への不安感もあっただろうが、安…
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金ヶ作廃線の旅(常盤平駅からの街歩き)

鉄道第二連隊の演習線を常盤平駅から五香駅まで街歩き(1h30)  新京成電鉄の路線は、もと旧帝国陸軍の鉄道第二連隊の演習線が母体であることはご存知かと思う。あの映画「戦場にかける橋」の泰緬鉄道ともつながる。その鉄道第二連隊本部の正門は、津田沼の千葉工業大学通用門として残っている。  いろいろな記事や説明などで、新京成線がなぜ…
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鮮魚街道の街歩き【五助木戸から松戸宿・納屋河岸跡まで】

改定 2020年11月17日 鮮魚街道(生街道)とは  江戸時代には、川を使った水運が栄えました。銚子沖でとれた魚は、夕刻に銚子を出発し、翌朝に布佐河岸で陸上げされ、金ヶ作を通り松戸河岸まで馬で運ばれました。そして、再び、船で行徳を経て夕方から夜に日本橋に着き、翌朝のせりにだされました。この陸送路を鮮魚街道(なまみち)といいました。…
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富山の薬売り

北陸は越中富山の薬売り 小生の子供の頃は、金ヶ作周辺に病院もなくて、使った分だけ支払うという富山の置き薬はどこの家でも重宝されていました。虫歯になって、今治水には大変お世話になりました。紙風船がもらえて嬉しかった記憶があります。カテゴリーとしては、行商のジャンルになりますが、何の薬を置くかも含め健康相談もしてくれる行商でした。資格…
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将軍お鹿狩りと金ヶ作村の庚申塔(その2)

弘化4年に疫病が流行ったのか、旧金ヶ作村の北と南の出入口に庚申塔が建てられた。その北側の庚申塔の脇には、力石(ちからいし)が2、3個置いてあったそうだ。それが、近現代の道の拡幅工事で散逸してしまった。その行方を追っているのだが、写真は、現金ヶ作町会長の小嶋邸にある出所不明の謎の石(37×28cm)である。多分、その一体と思われる。 …
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御鹿狩小金原御場所図

コミュニティカフェChoshiYaのネーミングですが、我が家の屋号から引用してます。残っている天保時代の稲荷にも銚子屋と彫られてます。確かな「記録が残っていない」ので何とも言えませんが、この御鹿狩小金原御場所図(嘉永2年(1848年)3月18日・徳川家慶)のここに"茶や銚子や"って描かれてます。当時のこのあたり(字河越)に検知されて課税…
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将軍お鹿狩りと金ヶ作村の庚申塔

 金ヶ作の成立は、徳川吉宗の享保の改革から始まる。小金牧のうち中野牧への新田開発である。このとき、牧制度の改革(牧士の管理から、中野牧・下野牧を関東郡代管轄に移し、小宮山杢之進(こみやま もくのすすむ)が野方代官となる。)で金ヶ作陣屋が置かれた。このとき牧士の長・綿貫十右衛門(夏右衛門)には30俵を賜り野馬奉行*1の役割を与えて…
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千駄堀

新京成八柱駅付近で車窓から見える電波塔がいつも不思議でならなかった。松戸の地名に親しむ会の千駄堀歴史散歩で目から鱗。個人の敷地に建ってるアマチュア無線アンテナでした。地元の人は知ってたんですね。それにしてもすごい(千駄堀湧水広場から撮影)。 ぱっと見、指向性アンテナがそれぞれの方向を向いていたが、動かすモーター部は、アンテ…
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鮮魚街道

Google Map 上で県道281号線にかぶせて鮮魚街道と旧道名を入れてくれていて嬉しいのだが、五香十字路から子和清水までの区間は新しい道であって、実際の旧道は、五香十字路から菓匠松久まえの細い道を一部が線路と建物で塞がれてしまってはいるが、松戸市立常盤平中学校南側を子和清水まで続く小道が正しい。その道沿い南側に野馬除土手が続いていた…
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崙書房出版が解散。涙。ご苦労さまでした。

青木更吉著「野馬土手は泣いている」など、金ヶ作村周辺の歴史を学ぶ上で読み始めた本の出版元、崙書房出版(流山市)が消えた。地域の歴史や風土などを扱ってくれていた出版社。残念。ご苦労さまでした。 そのニュース記事 https://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201907/CK2019072…
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地図と測量の科学館

金ヶ作を中心とする地形確認に必要な迅速図(明治期に作成された地図)の謄本を交付してもらうため、つくば市にある国土地理院の謄本交付窓口に行ってきました。 ちょうど科学技術週間ということもあり、「地図と測量の科学館」のイベントも見学しました。 明治16・17年測量の東京中心部の原図が、何気なく2階通路に飾ってありました。クリ…
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金ヶ作歴史散歩 (6)

ここに提示した地図は、国土地理院の電子国土Webにある標準地図をベースに、明治期の低湿地のレイヤーを重ねたものです。その上に明治30年8月発行の迅速図にある野馬土手や村などを書き加えたました。従って、明治期の開墾で、すでに壊された野馬土手は載っていません。これから精度を上げていきたいと思います。ウィキペディア(Wikipedia)の「小…
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金ヶ作歴史散歩 まえがき

ChoshiYaの金ヶ作歳時記「松戸史記」にお立ち寄り、ありがとうございます。 定年後、最初は、壬申の乱(西暦672年)の足跡を暇にまかせて訪ね歩こうと考えていました。古事記がつくられ、天皇という称号が使われはじめ、権力闘争も含め、律令国家の礎ができたその時代背景に興味を持ったからです。しかし、自分の生まれ育った金ヶ作の歴史すらあ…
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金ヶ作の地名?

金ヶ作の地名由来は、はっきりしていません。 しかし、安易に金が咲くと解釈する人が何と多いことか。 この金ヶ作歳時記を読まれた方であれば、明治初期に入植するよりもさらに厳しかった時代を想像できるかと思います。残念なことに旧金ヶ作村の歴史を裏付ける資料が見当たらず、地域史の書籍や紀要等からも抜けてしまっているので推測するのがやっ…
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日光世界遺産巡り

奥日光は雪で吹雪いていたのに下は良いお天気でした。列車を待つ間、外国人に混じって化粧直しをすませた日光東照宮を拝観。それにしても世界遺産巡りのバスが運行していたりと、以前きた時とは様変わり。 俺は家光派だとか若い人の会話が聞こえてくる。その昔、土着の関東勢は北条方に与力してほとんどが負け組になってしまった。歴史は関東に移ってきた徳…
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徳川将軍御鹿狩りの御立場の正確な位置はどこか

金ヶ作歴史同好会(仮称) 徳川将軍御鹿狩りの御立場の正確な位置はどこか。 現在、歴史好きの仲間が調査中です。史料の見方が養われれば、読書家ですし1年も経たずに私の上をいきそうな勢いで調べております。 昭和15年、現在の松飛台の地名由来となった松戸飛行場(逓信省中央航空機乗員養成所)ができたときに御立場が壊されたといわれ…
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講演・村と百姓の江戸時代

第70回松戸市文化祭の文化講演(主管:松戸史談会)・一橋大学大学院社会学研究科渡辺尚志教授による「村と百姓の江戸時代」を聞きに行きました。 天明3年の浅間山大噴火の話もあり、天明2年にこの地(金ヶ作村)への入植開墾と金ヶ作熊野神社創建の時代背景などに思いを馳せました。講演の中で、土地は先祖のもので当代はそれを借りているだけ。維持し…
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