テーマ:金ヶ作史記

日本大空襲 松戸飛行場(松飛台)

今日は、終戦記念日も近いので話題をこちらにします。  このブログの「金ヶ作史記」で旧陸軍松戸飛行場について触れたこともあり、そこの飛行第53戦隊に所属し、整備兵として帝都防衛に就いて敗戦を迎えた原田良次氏の著書「日本大空襲-本土制空基地隊員の日記-」を読んでいる。  1973年に中央公論社から中央新書として日本大空襲(上)・…
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鮮魚街道 五香十字路界隈の空中写真(御立場発見)

 この写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より提供してもらった1947年(昭和22年)の進駐米軍による五香十字路界隈の航空写真です。  今は、わずかに残っているだけの野馬除土手ですが、  この写真では、野馬除土手沿いに続く旧道(鮮魚街道)がよくわかります。陸軍鉄道第二連隊の演習線が松戸飛行場跡まで引き込まれている…
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鮮魚街道 日暮村界隈の空中写真

この写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より提供してもらった1947年(昭和22年)の進駐米軍による日暮村界隈の空中写真*1である。旧帝国陸軍鉄道第二連隊の演習線らしき跡も見える。更にさかのぼって、明治13年陸地測量部の迅速測図(国土地理院謄本)の地図と重ね合わせて旧道の痕跡を緑の線で引いてみた。 1. 空撮に…
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千葉市立郷土博物館パネル展「将門と忠常 -千葉氏のルーツを探る-」

金ヶ作史記での時系列を理解していただくため、後北条方の勢力分布と徳川勢関東支配の分布を千葉市立郷土博物館のパネル展「将門と忠常-千葉氏のルーツを探る-」のパネルより引用させていただきます。 権力者の盛衰もあるが、負け組も含め、住民の暮らしはたいへんである*1。 千葉市立郷土博物館では、このパネル展のブックレットを100円…
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松戸市岩瀬の古地名

松戸市の広報誌  広報まつどNo.1675 7/1 のコラム「松戸の歴史解説」で、小野遺跡(奈良・平安時代)の話が載っていた。下総国府との関わりで岩瀬の古地名が石世(いわせ)とか?  以前、「紙敷」も昔は神聖な役割を担っていたのではないかと平川南先生からの「かも知れない話」で調べてみたが地名由来の記録はなかった*1。こちらも何か発掘…
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金ヶ作史記について

ChoshiYaの金ヶ作歳時記にお立ち寄りいただき感謝申し上げます。  この中のテーマのひとつ「金ヶ作史記」ですが、地域の歴史を知らない世代に向けて、少しでも郷土史を知ってもらおうと始めました。幸いなことに、わたしが歴史研究者ではない利点を生かして、私自身が知らないことを知る楽しみを共有してもらえれば幸いです。また、取り上げた郷土…
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天王さま(松戸市金ヶ作32)

金ヶ作陣屋と関わりがある場所の天王さま。現在の門前八坂神社(松戸市金ヶ作32)を紹介しておく。由緒由来は写真参照のこと。安政元年(1854年)創建*1とのことなので、江戸時代末期、陣屋の近傍にあって祀られる。明治元年はあと15年後である。 *1 創建の御祀神を考えると、当時は天災や開国への不安感もあっただろうが、安…
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金ヶ作廃線の旅(常盤平駅からの街歩き)

鉄道第二連隊の演習線を常盤平駅から五香駅まで街歩き(1h30)  新京成電鉄の路線は、もと旧帝国陸軍の鉄道第二連隊の演習線が母体であることはご存知かと思う。あの映画「戦場にかける橋」ともつながる。その鉄道第二連隊本部の正門は、津田沼の千葉工業大学通用門として残っている。  いろいろな記事や説明などで、新京成線がなぜくねくねと…
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金ヶ作陣屋が置かれた場所について一考

 実は、金ヶ作陣屋跡という指標が常盤平陣屋前とされている場所に立っていることに違和感を感じていたので、陣屋が置かれた場所について一考しておかなければならない。  明治13年陸地測量部の迅速測図(国土地理院謄本)を見るに、当時の街道は、左手側の松戸宿方面から日暮村を経由して二本に分かれる。一本は、現在の県道51号市川柏線であって金ヶ作村…
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【松戸宿】鮮魚街道を街歩き

五助木戸(五香十字路)から松戸宿・納屋川岸跡までの現在の鮮魚街道を辿ってみました。 1. 五香十字路(五助木戸) ここは中野牧での徳川将軍お鹿狩りの場所であって、銚子から江戸に鮮魚を運ぶ最短ルートの中継点としても重要な役割を果たしていたところ。 交通量が多い五香十字路(県道281号)からみて、右の菓匠松久まえの細い道が本来の鮮…
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富山の薬売り

北陸は越中富山の薬売り 小生の子供の頃は、金ヶ作周辺に病院もなくて、使った分だけ支払うという富山の置き薬はどこの家でも重宝されていました。虫歯になって、今治水には大変お世話になりました。紙風船がもらえて嬉しかった記憶があります。カテゴリーとしては、行商のジャンルになりますが、何の薬を置くかも含め健康相談もしてくれる行商でした。資格…
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将軍お鹿狩りと金ヶ作村の庚申塔(その2)

弘化4年に疫病が流行ったのか、旧金ヶ作村の北と南の出入口に庚申塔が建てられた。その北側の庚申塔の脇には、力石(ちからいし)が2、3個置いてあったそうだ。それが、近現代の道の拡幅工事で散逸してしまった。その行方を追っているのだが、写真は、現金ヶ作町会長の小嶋邸にある出所不明の謎の石(37×28cm)である。多分、その一体と思われる。 …
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御鹿狩小金原御場所図

コミュニティカフェChoshiYaのネーミングですが、我が家の屋号から引用してます。残っている天保時代の稲荷にも銚子屋と彫られてます。確かな「記録が残っていない」ので何とも言えませんが、この御鹿狩小金原御場所図(嘉永2年(1848年)3月18日・徳川家慶)のここに"茶や銚子や"って描かれてます。当時のこのあたり(字河越)に検知されて課税…
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将軍お鹿狩りと金ヶ作村の庚申塔

 金ヶ作の成立は、徳川吉宗の享保の改革から始まる。小金牧のうち中野牧への新田開発である。このとき、牧制度の改革(牧士の管理から、中野牧・下野牧を関東郡代管轄に移し、小宮山杢之進(こみやま もくのすすむ)が野方代官となる。)で金ヶ作陣屋が置かれた。このとき牧士の長・綿貫十右衛門(夏右衛門)には30俵を賜り野馬奉行*1の役割を与えて…
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千駄堀

新京成八柱駅付近で車窓から見える電波塔がいつも不思議でならなかった。松戸の地名に親しむ会の千駄堀歴史散歩で目から鱗。個人の敷地に建ってるアマチュア無線アンテナでした。地元の人は知ってたんですね。それにしてもすごい(千駄堀湧水広場から撮影)。 ぱっと見、指向性アンテナがそれぞれの方向を向いていたが、動かすモーター部は、アンテ…
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鮮魚街道

Google Map 上で県道281号線にかぶせて鮮魚街道と旧道名を入れてくれていて嬉しいのだが、五香十字路から子和清水までの区間は新しい道であって、実際の旧道は、五香十字路から菓匠松久まえの細い道を一部が線路と建物で塞がれてしまってはいるが、松戸市立常盤平中学校南側を子和清水まで続く小道が正しい。その道沿い南側に野馬除土手が続いていた…
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崙書房出版が解散。涙。ご苦労さまでした。

青木更吉著「野馬土手は泣いている」など、金ヶ作村周辺の歴史を学ぶ上で読み始めた本の出版元、崙書房出版(流山市)が消えた。地域の歴史や風土などを扱ってくれていた出版社。残念。ご苦労さまでした。 そのニュース記事 https://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201907/CK2019072…
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地図と測量の科学館

金ヶ作を中心とする地形確認に必要な迅速図(明治期に作成された地図)の謄本を交付してもらうため、つくば市にある国土地理院の謄本交付窓口に行ってきました。 ちょうど科学技術週間ということもあり、「地図と測量の科学館」のイベントも見学しました。 明治16・17年測量の東京中心部の原図が、何気なく2階通路に飾ってありました。クリ…
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金ヶ作歴史散歩 (6)

ここに提示した地図は、国土地理院の電子国土Webにある標準地図をベースに、明治期の低湿地のレイヤーを重ねたものです。その上に明治30年8月発行の迅速図にある野馬土手や村などを書き加えたました。従って、明治期の開墾で、すでに壊された野馬土手は載っていません。これから精度を上げていきたいと思います。ウィキペディア(Wikipedia)の「小…
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金ヶ作歴史散歩 まえがき

ChoshiYaの金ヶ作歳時記「松戸史記」にお立ち寄り、ありがとうございます。 定年後、最初は、壬申の乱(西暦672年)の足跡を暇にまかせて訪ね歩こうと考えていました。古事記がつくられ、天皇という称号が使われはじめ、権力闘争も含め、律令国家の礎ができたその時代背景に興味を持ったからです。しかし、自分の生まれ育った金ヶ作の歴史すらあ…
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金ヶ作の地名?

金ヶ作の地名由来は、はっきりしていません。 しかし、安易に金が咲くと解釈する人が何と多いことか。 この金ヶ作歳時記を読まれた方であれば、明治初期に入植するよりもさらに厳しかった時代を想像できるかと思います。残念なことに旧金ヶ作村の歴史を裏付ける資料が見当たらず、地域史の書籍や紀要等からも抜けてしまっているので推測するのがやっ…
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日光世界遺産巡り

奥日光は雪で吹雪いていたのに下は良いお天気でした。列車を待つ間、外国人に混じって化粧直しをすませた日光東照宮を拝観。それにしても世界遺産巡りのバスが運行していたりと、以前きた時とは様変わり。 俺は家光派だとか若い人の会話が聞こえてくる。その昔、土着の関東勢は北条方に与力してほとんどが負け組になってしまった。歴史は関東に移ってきた徳…
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徳川将軍御鹿狩りの御立場の正確な位置はどこか

金ヶ作歴史同好会(仮称) 徳川将軍御鹿狩りの御立場の正確な位置はどこか。 現在、歴史好きの仲間が調査中です。史料の見方が養われれば、読書家ですし一年も経たずに私の上をいきそうな勢いです。 昭和15年、現在の松飛台の地名由来となった松戸飛行場(逓信省中央航空機乗員養成所)ができたときに御立場が壊されたといわれてますが、実…
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講演・村と百姓の江戸時代

第70回松戸市文化祭の文化講演(主管:松戸史談会)・一橋大学大学院社会学研究科渡辺尚志教授による「村と百姓の江戸時代」を聞きに行きました。 天明3年の浅間山大噴火の話もあり、天明2年にこの地(金ヶ作村)への入植開墾と金ヶ作熊野神社創建の時代背景などに思いを馳せました。講演の中で、土地は先祖のもので当代はそれを借りているだけ。維持し…
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まんが日本昔ばなし 正長の土一揆

第70回松戸市文化祭公演の文化講演「村の百姓と江戸時代」を拝聴した所為かもしれないが、本日の時代劇専門チャンネルで放送された「まんが日本昔ばなし」で、正長の土一揆を題材にしていたので興味がわいて、その歴史的なことばを確認してみた。 土一揆(つちいっき): 室町中期、畿内を中心に頻発した農民・地侍の武装蜂起のこと。年貢の減免や徳政…
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金ヶ作歴史散歩(5)

金ヶ作熊野神社(千葉県松戸市金ヶ作361) 天明3年創建(1783) 天に向かって枝を広げている御神木の写真 石造物 1. 庚申塔 天保8年8月吉日(西暦1837年) 削れてしまっているが正面は青面金剛であろう。台座正面に三猿があり、台座右側に當村講中とある。 2. 二十三夜塔 弘化4年正月吉日(西暦…
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金ヶ作歴史散歩(4)

金成山祖光院(千葉県松戸市金ヶ作352)曹洞宗 江戸中期(1780年代)、この地に開墾で入植した人々が、故郷川越の養寿院から瑞厳祖光大和尚を招き、隠居所とした祖光庵が始まり。寺子屋も置いていたそうです。金ヶ作の開墾とともに歩んできたお寺です。 引用:創立100周年記念誌「たかぎ」松戸市立高木小学校 祖光院では、秋のお彼…
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金ヶ作歴史散歩(3)

土地勘がないので、今回は川越を試し歩きです。 まず、「石川采女」さんの墓所を目指します。 東武東上線上福岡駅西口に降りましたが、期待していた西武バスの本数がない。三角(さんかくと読む)バス停まで行けば楽だったのですが、片道40分程度を歩く事に。最短距離の道を間違えて、やっぱり三角経由(大井交番の場所)になる。わぁӏ…
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金ヶ作歴史散歩(2)

石川彦次右衛門は、明和7年から安永7年までの9年間にわたって下赤坂村の名主を務めていたとのこと。松戸市史の説明に沿って話をすすめると、彼の五代前の先祖が「石川采女」といって下野国吉水村(栃木県佐野市)に住んでいたが、川越藩主となった松平伊豆守信綱が、慶安・承応年間(1650年代)に武蔵野台地の新田開発をする際、万治2年(1659)、開発…
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金ヶ作歴史散歩(1)

金ヶ作の歴史を振り返るため、川越を少し歩いてきました。 まずは復習から。 金ヶ作の位置は、徳川幕府直轄の中野牧にあります。徳川吉宗の享保の改革が始まり、各地で新田開発が奨励されます。小宮山杢之進(こみやま もくのすすむ)の進言で、牧制度の改革とともに牧内の開墾が始まりました。小宮山杢之進が野方代官となり、金ヶ作陣屋も置かれま…
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