この金ヶ作史記について

ChoshiYaの金ヶ作歳時記にお立ち寄りいただき感謝申し上げます。

 この中のテーマのひとつ「金ヶ作史記」ですが、地域の歴史を知らない世代に向けて、少しでも知ってもらおうと始めました。幸いなことに、わたしが歴史研究者ではない利点を生かして、私自身が知らないことを知る楽しみを共有してもらえれば幸いです。また、取り上げた郷土史に興味を感じていただくきっかけになればと願っています。

 個人的なことですが一点だけ、

 歴史、とくに近現代史においては、日本国内ですら歴史観で揉めます。以前、国立公文書館アジア歴史資料センター(略称アジ歴)という所で、システム入れ替えとデータ更新・公開の仕事をしていました。当時のセンター長であった石井米雄先生*1とも親しくさせていただきましたが、「歴史認識の共有は難しくとも歴史事実は共有できる。」ということばを今でも大切にしています。

 ここに立ち寄られた歴史好きの方にも、このことばを贈りたいと思います。


*1 経歴や人柄を簡単に載せようとしたが、ひと言でご紹介するのがきわめて難しいので、検索でご対応願いたく思う。
 当時のアジ歴のオフィスは、平河町のテナントビルの中にあって組織も含め非常にコンパクトであった。石井米雄センター長は人間文化研究機構長もされていたが、機構組織の中では近寄り難い存在ではあるものの、アジ歴は狭すぎて密度が濃かったと思う。小生にとって尊敬できる先生のおひとり。お亡くなりになられたのが非常に残念であった。新品のLet’s NOTEのOSを、Win.8からWin.7にダウングレードして差し上げたとき、お持ちのパーカーコレクションからボールペンを一本いただいた。
 私がリタイヤしてから暫くあと、人間文化機構からお呼びがかかって、参加機関の研究成果(リポジトリ)や研究者情報を統合して公開する仕事を引き受けたのも石井米雄先生を意識したからに他ならない。緩んだウエストを戻すため頑張って走り込みをしたのを覚えている。何者にも代えがたい先生であった。合掌